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この地は、小一条殿(こいちじょうでん:文徳天皇皇后明子の里、藤原忠平の邸宅)といい、平安の御代、清和天皇ご誕生の地と云われています。
平安京遷都の翌年、延暦14年(795)、桓武天皇の命により、藤原冬嗣が筑紫(福岡県)より勧請し、創建されたと云われています。 |
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藤原北家の花山院家は、藤原道長の孫・関白師実(もろざね)の次男・左大臣家忠を祖とし、孫の忠雅が太政大臣となり清華家を確立し、花山法皇の東一条殿を家忠が拝領して花山院としました。
明治維新までは花山院家の邸宅でしたが、邸宅が廃せられて後は社殿のみが残りました。
『現地案内を参照』 |
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