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本殿と拝殿は室町時代、明徳元年(1390)に後光厳天皇の命を受けた室町幕府第3代将軍・足利義満が造営を始め、応永32年(1425)に完成しています。
元々は吉備国の総鎮守でしたが、吉備国が備前、備中、備後に分かれたため、備前は吉備津彦神社、備中は吉備津神社、備後は広島にある吉備津神社と分かれました。 |
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回廊は長さが394mもあり、渡ると「御釜殿鳴動神事」を行う御釜殿があります。
御祭神に退治された鬼「温羅(うら)」を祀る所と云われています。
吉備津彦命の夢に温羅の霊が現れ、「わが妻、阿曽郷の祝(はふりの娘・阿曽媛によりミコトの釜の蒸籠(せいろ)を炊いてみよ。
もし世の中に事あれば、釜の前に参り給えば、幸あれば裕に鳴り、禍あれば荒らかに鳴ろう。 |
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ミコトは世を捨てて後は、霊神と現れ給え。
われは一の使者となって四民に賞罰を加える」と告げました。
今日も、「鳴釜の神事」が行われており、鳴動の音の大小長短により、吉凶禍福を占っています。
『現地案内&Wikipediaを参照』 |