塩冶神社(えんや)
島根県出雲市上塩冶町1749-7
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島根の神社めぐり
当社は大国主命の御孫神である塩冶毘古命と、その妻神である塩冶毘売命を主祭神として祀られています。
創建の年代はあまりにも古く詳しくは判りませんが、地名として塩冶(出雲風土記では夜牟夜正屋)の字が始めて用いられたのは神亀3年(726)です。
当時、塩冶郷を治められた産土神様として郷民の崇敬していたことは明らかであり、今日に至るまで引き続き塩冶の郷の氏神様として信奉して参りました。
尚、鎌倉時代に時の守護職・塩冶頼奏公(塩冶氏の祖)が武勇を尊ぶ趣意から、誉田別命(応神天皇)を合殿に勧請したことにより塩冶八幡とも呼ばれています。
頼奏の孫・高貞は足利尊氏と共に鎌倉幕府倒幕に参加していましたが、尊氏の家臣・高師直との不和が原因で自刃、一族も多く命を落とすのです。
『現地案内を参照』
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