|
|
墳頂と各段の平坦面には鰭付円筒埴輪(ひれつきえんとうはにわ)・鰭付朝顔形埴輪(ひれつきあさがおがたはにわ)をめぐらせ、およそ2,200本立てられていたと推定されています。
濠の中には東西のくびれ部付近に方形マウンド(島状遺構)が造られているほか、円筒棺を埋めたマウウンドもありました。 |
|
|
|
五色塚古墳は後円部にあると考えられる埋葬施設などの発掘調査はおこなっていません。
古墳が造られた時期を推定する材料は少ないのですが、埴輪の形などからみて4世紀後半ごろ、明石海峡とその周辺を支配していた豪族のお墓と考えられています。
夏の夜、後円部で盆踊り、神戸の夜景と明石大橋、最高の古墳だよね。
『現地案内を参照』 |
|
|