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奈良時代、養老元年(717)、皇女勅を奉じて安芸国宮島に御参詣、護衛の近士七十余名、他に宮人多数を従えて宮島に到着します。
三十七夜の御祈願を終えられ、海路を帰途につかれましたが、折り悪く暴風海波が荒れ、航行が至難し、皇女はお疲れになられ、播磨の室津の港に上陸されました。
そこに三日間ご静養ののち、陸路をとって播州賀茂郡船岡の辺を啓御されました。 |
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しかし皇女の疲れが再び重く、里人に仮殿を造らせて、回復に努められましたが、容態はよくならず、遂に崩御されました。
このことが上聞に達し、勅使の御下向があり、三津山(宮山)の山頂に埋葬されました。
『現地案内を参照』 |
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