玉岡古墳
兵庫県加西市玉丘町
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  全長109mの前方後円墳で県下6番目の規模を誇ります。

築造年代は4世紀末で、墳形や石棺の形状から、被葬者は大和王権に大きな貢献をした地方豪族と考えられます。

4世紀末という築造年代は、誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵:羽曳野市)と同時期で、応神朝と関係が深いと考えられます。
  
  ここは愛染古墳、玉丘古墳の周囲には壇塔山古墳、クワンス塚古墳と愛染古墳があります。

応神天皇(品太天皇:ほむたのすめらみこと)は、賀毛郡条で最も登場回数が多い人物でもあるので、応神天皇と関連付けた伝承が記述されてもよさそうなものですが、6世紀の人物とされる二皇子との関連で伝承が語られています。

そして玉丘には「根日女伝説(ねひめ)」があります。
     
  二人の皇子、 意奚(おけ:24代・仁賢天皇)、袁奚(をけ:23代・顕宗天皇)の遣わした使者が、国造許麻(くにのみやっここま)の娘・根日女への求婚を伝えます。

根日女は応じるのですが、入内は叶わないまま年老いて亡くなってしまうのです。

根日女の訃報を聞き悲しんだ皇子たちは、根日女を葬る玉で飾った墓を造るのです。

『現地案内を参照』
  
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