有年原・田中遺跡(うねはら・たなか)
兵庫県赤穂市有年原1090
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  有年原(うねはら)・田中遺跡は、赤穂市内を南流する千種川(ちぐさ)と有年盆地を西流する矢野川との合流の北に位置し、遺跡の北にそびえる奥山の谷から南に広がる緩やかな扇状地上に立地しています。

弥生時代・古墳時代の竪穴住居跡や、飛鳥・奈良時代の掘立柱建物跡(ほったてばしら)などと一緒にたくさんの土器や石器、木製品が見つかり、有年原・田中遺跡が弥生時代からの大集落であったことがわかってきました。
    
  有年原・田中1号墳丘墓

直径19mの円形の弥生時代後期の墳丘墓で、東側には墓道である陸橋部を西側には祭祀の場となる突出部を備えた珍しい形をしています。

幅5m、深さ1mの周溝によって囲まれ、西側には排水のための溝があります。

また墳丘斜面には千種川から持ち込まれた河原石が貼り付けられ、周溝内から大型の器台・壺・高杯(たかつき)が出土し、木棺の痕跡も確認されています。
  
  棺の周りに並べられた装飾豊かな器台と壺は、墳丘墓の周溝内から発見されたもので、墳丘墓の上で行われた葬送儀礼の祭祀に使われていたものです。

吉備地方では、壺や器台を弥生時代の墳丘墓の祭祀に用いることが多く、有年原・田中墳丘墓群に葬られた人たちが、吉備と強いつながりをもちながら、有年原の地を中心として巨大な権力を誇っていたことが考えられます。
    
  木棺墓群

1号墳丘墓の南東の方向から6基の木棺墓が見つかっています。

木棺は板を埋め込んで固定され、死者の性別あるいは出身地の別によって棺の向きが異なっていると考えられています。

墳丘墓に葬られた人々より身分が低い人たちの墓だったと思われます。

『現在案内を参照』
  
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