|
|
同3年、信長は秀吉・光秀らに龍門寺城を攻めさせ、越前一向一揆平定後、府中とその近辺の10万石を府中三人衆(前田利家、佐々成政、不破光治)に分け与え、龍門寺城には不破光治が入りました。
不破光治は美濃国で斎藤氏に仕えていましたが、信長に降り、足利義昭への使者を務めるなど重く用いられていました。 |
|
|
|
天正11年(1583)、柴田勝家が秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗れ、利家はまつと共に秀吉を府中城で迎え、大名として地盤を固めていきました。
不破光治の子・直光は、一時は柴田勝家に味方していましたが賤ヶ岳で敗れた後は、秀吉を支えています。
現在、南部の窪地は堀跡で、墓地として利用されています。
『現地案内を参照』 |
|