大乗寺(だいじょうじ)
兵庫県美方郡香美町香住区森860
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  天平17年(745)、行基が聖観音を本尊として創建した高野山真言宗の寺院です。

江戸時代後期の寛政年間(1789−1800)、当時の住職・密蔵らにより再興されました。

江戸時代の画家・円山応挙(まるやまおうきょ)とその一門の襖絵があり、別名「応挙寺」とも呼ばれています。
  
  円山応挙は現在の京都府亀岡市曽我部町穴太に農家の次男として生まれます。

10代の後半に、京に出て狩野探幽の流れを引く鶴沢派の画家・石田幽汀(いしだ ゆうてい)の門に入りました。

住職・密蔵は京都訪問の際、苦学中の円山応挙に銀3貫目を与えました。
  
  観音堂

明和3年(1766)、応挙と名乗りはじめ、この頃から三井寺円満院の祐常門主の知遇を得て、祐常や豪商三井家や妙法院門跡・真仁法親王が応挙を支援します。

代表作に「七難七福図」、「孔雀牡丹図」は三井寺に、「雪松図」は三井家に伝わり、そして故郷穴太の金剛寺やここ大乗寺の障壁画も代表作となりました。
    
  円山応挙像

応挙は大成したのち、大乗寺の住職・密蔵に報いるため、弟子12名とともに客殿襖絵・屏風などの作品を残しました。

客殿の山水の間、芭蕉の間、孔雀の間など13室に円山応挙、呉春、長沢芦雪ら応挙一門による障壁画が描かれています。

『Wikipedia参照』
    
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