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鎌倉時代のはじめ、重源上人(ちょうげんしょうにん)は源平合戦で焼失した東大寺復興の大勧進職(だいかんじんしき)となりました。
その資金を得るため東大寺の荘園「大部荘(おおべのしょう:小野市の中心部で加古川東岸一帯)」の開発に乗り出します。
その時、自らの信仰を道場とするため浄土寺を建立、境内の建物配置は、重源の阿弥陀信仰に基づく神仏習合思想が反映されていると考えられています。 |
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浄土寺浄土堂は、建久5年(1194)の建立で、東大寺南大門と同じ中国から伝来の「天竺様」という建築技法を用いられ、お堂としてはわが国で唯一のものだそうです。
お堂には快慶作の国宝・阿弥陀三尊像(阿弥陀如来像、両脇には観音像、勢至菩薩像)が安置されています。
堂背後の蔀戸(しとみど)から差し込む夕日を背景をした三尊像を見つめ、いつまでも座っていたくなります。 |
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