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嵯峨帝弘仁6年(815)、弘法大師(空海)が中国へ渡航するに際し、海上安全を地蔵菩薩に祈願します。
播磨灘にて霊感を受けられ無事所願成就、帰朝後地蔵十輪経の趣旨にのっとり、鎮護国家や内海航行安全の祈願所として、他の七ケ寺(薬仙寺、延命寺、極楽寺、西福寺、松楽寺、観音寺、来迎寺)と共に創設しました。
その後一時は廃退していましたが、中興24世律空悦道上人が、元禄6年(1693)に入山し、再建しています。 |
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旧高砂城主・梶原景秀公の由来
梶原一族は鎌倉幕府の創設に貢献し、その後水軍を率いて当地に入り、文明元年(1469)高砂城を構築します。
またこの地を基地として、海外通商に雄飛し東播地方に重きをなしました。
天正7年(1579)、最後の城主・梶原景秀公は黒田官兵衛の仲介により秀吉に帰順し、その子孫の一部は塩座役などを勤めました。 |
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