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その後、養老2年(718)、元正天皇のとき武蔵国の大守・大目身人部春則(おおめみひとべのはるのり)が、太子の偉徳顕彰のため七堂伽藍を建立しました。
何故に聖徳太子が播磨と思う。
太子は法華経を講義し、その功績で推古天皇から播磨国の水田百町を得たことから、聖徳太子が播磨との関わりがあったと云われています。 |
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平安時代の壁画が見つかった県下最古の木造建築物、国宝「太子堂」です。
泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が聞こえたため、改心したと伝えられている「金銅聖観音像(あいたた観音)」など、多くん仏教美術が残されています。
戦国時代、姫路の圓教寺は戦火に巻き込まれましたが、姫路の黒田官兵衛は信長に付いたため、戦いに巻き込まれずに現存しているそうです。 |
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今日は新年の始まりを告げる修正会(しゅしょうえ)鬼追い式です。
天徳時代(957−961)に始まったと云われ、国土安穏や五穀豊穣を祈ります。
参拝者が沢山、本堂から落ちそう、そろそろ始まりそう。 |
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小学生4人の子鬼が、柳のつえで本堂の床をコツコツ。
たいまつと斧を持った赤鬼、矛を持った青鬼が参拝者を脅す。
「あっちへいけ」と鬼を追う。 鬼の後ろを持って誘導する係の人も大変。
早くマスクつ付けない世の中になってほしいよね。
『現地案内を参照』 |