清水寺
兵庫県加東市平木1194
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  インドの僧・法道仙人は、今より1800年前・景行天皇の時に、中国、朝鮮を経て当山に止住され、鎮護国家豊作を祈願されました。

推古35年(627)、推古天皇勅願により、根本中堂を建立し、仙人一刀三礼の秘仏十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を安置されました。
  
  由来、この地は水に乏しく、仙人、水神に祈って霊泉湧出し、感謝の余り、清水寺と名付けられました。

神亀2年(725)、聖武天皇は行基菩薩に勅願して大講堂を建立、永く講経の道場として、法灯を輝やかされていました。

花山法皇西国御巡拝の時、この堂に詣で給いて、御詠あらせられてより、西国三十三所の第25番の札所となりました。
  
  薬師堂

大講堂手前には平清盛の義母「池の禅尼」が建てた薬師堂や地蔵堂があります。

池の禅尼は平忠盛と結婚し、家盛、頼盛を産んでいます。 清盛とは異母弟です。

頼朝が捕らえられた時、清盛に対して助命し、頼朝は伊豆に流されたと云われています。
    
  「赤松氏範の切腹石」 、赤松氏範はじめ一族が切腹したと伝わる石です。

その時、氏範の五男・乙若丸だけは薩摩へ逃げさせているのです。

赤松円心の子、加古川の天神山城主であった氏範の最後の地がここだったんだね。

『現地案内 & Wikipediaを参照』
  
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