清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)
兵庫県宝塚市米谷清シ1
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  平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め、戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願時の一つとして創建されました。

天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼荼羅の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖とします。
  
  まず伊勢内宮・外宮など十五神を勧請し、鎮守神として、三宝荒神社を祀り、蓬莱山七嶺七渓に荘巌な伽藍を造営しました。

そして宇多天皇より、「日本第一清荒神」の称号を賜り、蓬莱山清澄寺として栄えました。

およそ三百年の後、源平の兵火により灰燼に帰しましたが、勅令により建久4年(1193)、源頼朝の手によって再興されました。
  
  およそ四百年の後の戦国時代、再び兵火で荒神社を除く諸堂ことごとく焼亡しました。

江戸時代末期、一代の名僧・浄界和上(号露庵)の諸堂の再興に続き、先々代法主光浄和上は、昭和二十二年に真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として今日を迎えています。

『現地案内を参照』
  
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