光明寺(こうみょじ)
兵庫県加東市光明寺433
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  推古帝2年(594)、天竺から飛来した法道仙人の開祖と云われています。

古義真言宗の古刹「播磨高野」とも称され、新西国二十八番観音霊場として著名で、卯月8日(現在の5月3日)の仏生会は「滝野の花祭」の名で播州一のにぎわいを見せています。

寺宝に本尊・観世音菩薩、大慈院の善導大師画像、遍照院の銅造如来座像などがあります。
  
  観応2年(1351)2月、足利尊氏と直義の争いが表面化し、中国筋平定のために書写山に依った尊氏を討つべく、直義方の石塔頼房は五千余騎で光明寺本堂などに陣を構えます。

一方、尊氏は引尾山、高師直は鳴尾山、赤松則祐は八幡山に陣を置き、光明寺を囲みました。

往時の光明寺は、表参道や仁王堂が南の山腹にあり、尊氏と愛曽伊勢守が激しく戦ったのは、仁王堂付近と云われています。
  
  閼伽井の水(あかい)

この光明寺合戦の時、足利直義方の愛曽伊勢守に仕える小姓が、神がかりで十丈ほど飛び上がり、

「私は伊勢大明神で、この城を守るため三本杉の上にとどまっている。
私がいるかぎり落とすことはできない。

高師直・師泰らは七日内に滅びるであろう。 ああ熱い、この三熱の炎を冷まそう」と叫び、井戸に飛び込みました。
    
  おかげで直義方は防戦し、仁王堂や東坂の激戦では尊氏勢が敗れます。

両軍の対峙は十日におよび、のち尊氏と直義は和睦しました。

そして高師直と師泰兄弟は摂津の鷲林寺で処刑されるのです。

『現地案内を参照』
  
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