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養老2年(718)、大和国長谷寺の徳道上人が冥土で、閻魔大王(えんまさま)から「観音信仰を広めるように」といわれ、御宝印を授かりました。
徳道上人は御宝印を当寺にある白鳥塚古墳内の石棺・石の櫃(からと)に納めたと云われています。
徳道上人の観音巡礼はうまくいかず、270年後の平安時代に花山法皇が石の櫃から御宝印を見つけ、西国三十三所観音巡礼を再興して、中山寺を第24番札所としました。 |
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平安時代の末期、多田行綱(摂津源氏の八代目)は、妻の不信心に悩まされていまいた。
当寺の観音が「鐘の緒」でもって妻を改心させ、その後夫妻は仲が睦まじくなりました。
それから、中山寺では観音に子授かりや、安産祈願の信仰が生まれたそうです。 |
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天正6年(1578)、信長と荒木村重の有岡城の戦いで全山が焼失します。
慶長8年(1603)、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として再建しています。
バリアフリーが進んでいるんだね、うれしい。
『Wikipediaを参照』 |
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