荘厳寺(しょうごんじ)
兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589
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  当山は白雉年間(650〜)に天竺(インド)の僧・法道仙人の開基と云えられる観音霊場です。

慶長年間(1596〜)に徳禅上人が当山に入り、堂宇を修復して再興し、盛時には本堂への参道沿いに十ケ寺程の塔頭を構えていたようで、現在その建物跡地から往時のことが偲ばれます。
  
  近くの「天狗山」の山稜のあちこちに曲輪の跡があり、この山城が播磨黒田氏の居城・黒田城です。

播磨黒田氏は、赤松円光(えんこう:赤松円心則村の弟)を元祖とする赤松庶流の一族です。

観応2年(1351)3月、円光の子・七郎重光が黒田城に移り、播磨黒田氏の始祖、初代となり、以後九代黒田城主として存続します。
  
  八代黒田城主・黒田下野守重隆に男子2人あり、兄が治隆(はるたか)、弟が孝隆(よしたか)です。

治隆は父・重隆の家督を継いで九代城主となりましたが、元亀の頃(1570年初め)合戦に敗れ戦死、播磨黒田氏は滅亡します。

それ以前に、弟・孝隆は姫路城主・小寺美濃守職隆(もとたか)の猶子(ゆうし:養子)になっており、小寺官兵衛と名乗り、御着城主・小寺氏の家老となり、のちの黒田官兵衛(如水)になるのです。
    
  当地、黒田は官兵衛の先祖である赤松庶流・黒田氏の根本地であり、黒田官兵衛の出生地です。

これらは、心光寺旧記等の姫路の古文書、そして当地所蔵の荘厳寺本黒田家略系図の史料研究によって、近年はじめて判明した新事実なのです。

『現地案内を参照』
  
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