石峯寺(しゃくぶじ)
兵庫県神戸市北区淡河町神影110-1
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  白雉2年(651)、孝徳天皇の勅願によりインドの僧・法道仙人の開基と云われています。

中世には一里四方を寺領にもち、多数の僧兵や学侶(がくろ、がくりょ:中世における僧侶身分の1つ。 仏教に関連した学問や研究、祈祷に専念する僧侶のこと)を養っていました。
  
  大日如来が祀られている本堂、その東の三重の塔は室町時代の作で、嵯峨天皇の勅願によるものと云われ、この時代に造られた三重の塔では最も大きいものの一つです。

中堂の薬師堂は、聖武天皇の勅願で、行基が開眼した薬師像、十二神将、日光月光菩薩を祭祀し、追儺行事(ついなぎょうじ:大晦日に疫鬼や疫神を払う儀式、または民間で節分などに行われる鬼を払う行事)が行われました。
  
  建武3年(1338)、足利尊氏は神戸湊川で新田義貞と楠木正成を破ると、京都に入り室町幕府を開きました

一方、後醍醐天皇が京都から吉野に移り朝廷を開いたのが南朝、ここに南北朝時代が始まるのです。

この時、足利方の播磨の赤松円心は、新田一族の金谷経氏が南朝方として赤松氏の攻撃に対抗した時、石峯寺は南朝方の僧兵が籠もったお城と云われています。
    
  徳川将軍尊霊碑

明石城主・小笠原公や淡河城主・有馬公のお墓があります。 

応仁の乱、嘉吉の乱、織田・豊臣の毛利征伐などにより、伽藍が衰退しましたが、江戸時代には明石城主より70石、のち幕府徳川家康公より十三代にわたり、70石のご朱印寺領を受け、諸堂を復興・建立しています。

『現地案内&Wikipediaを参照』
    
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