小童寺(しょうどうじ)
兵庫県川西市西畦野1丁目7-1
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  源賢僧都(源満仲公の三男幼名美女丸)が開山し、本尊は阿弥陀如来です。

清和天皇の後裔・摂津国守源満仲は、佛心あつく、我が子の美女丸を僧侶にすべく中山寺の善観和尚に預けます。

しかし武門の血をひく美女丸は、僧侶になる事を不服に思い、罪なき人々に乱暴を働きました。

父満仲は怒り、重臣藤原仲光に美女丸を手討にするよう命じましたが、仲光は若君に刃を向ける事が出来ず悩んでいました。
  
  幸寿丸之墓

仲光の一人息子である十五才の幸寿丸が、父の苦しみを知り、私が若君の身代わりにと自ら命をさし出しました。

その後、美女丸は比叡山の恵心僧都のもとに出家し、名僧源賢僧都となり、幸寿丸の菩提を弔うため小童寺を建立するのです。
  
  渡辺綱公の墓

嵯峨天皇の第十八皇子・源融(みなもとのとおる)の四代後、正式な名のりは源綱(みなもとのつな)で、通称は渡辺源次綱であり、渡辺氏の祖となりました。
ちなみに源融は、紫式部「源氏物」の主人公光源氏のモデルとも云われています。
    
  渡辺綱公御廟

渡辺綱は、摂津源氏の源頼光(みなもとのよりみつ)の頼光四天王の筆頭として、剛勇として知られ大江山の酒呑童子退治や京都一条戻り橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話があります。

この一条戻り橋の逸話が謡曲「羅生門の鬼退治」になりました。
    
  頼光四天王の墓所

小童寺は渡辺綱の霊廟として「渡辺綱公御廟」を中央の上部に、その下段には、「渡辺綱公之墓」を筆頭に「卜部季猛公之墓」「平井保昌之墓」「坂田金時公之墓」の頼光四天王の墓所になっています。

『現地案内を参照』
    
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