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応和2年(962)、丹波桑田郡の宇治宮成が京都から仏師感世を招き、金色の観音像を造立しました。
鎌倉時代後期には、三十三所観音霊場の一つとして上げられ「一遍上人も当時に参詣して逗留しています。
室町時代には山門西塔院の末寺になり、室町将軍足利氏の庇護を受けています。 |
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天正年間(1573−92)に兵火にかかり、伽藍は荒廃し、十七世紀中頃、初代行廣が住職に就いて、再興を行いました。
釈迦如来涅槃像 (ねはんぞう:なで仏)は全国にも6例しかない貴重な仏像で、自分の体の悪いところと同じところを撫でてお願いすると、霊験があると云われています。
『現地案内を参照』 |
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