廬山寺(ろざんじ)
京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
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  日本蘆山と号する圓浄宗の大本山で、廬山天台講寺といいます。

天慶元年(938)、慈恵大師良源(元三大師)が、船岡山南麓に開いた興願金剛院に始まります。

寛元3年(1245)、法然上人に帰依した住心房覚瑜(じゅうしんぼうかくゆ)が出雲路に蘆山寺を開きました。
  
  この二つの寺を兼務した蘆山寺第三世明導照源上人(みょうどうしょうげん1339−1368)により、蘆山寺を興願金剛院に統合し、円、浄土、戒、密の四宗兼学寺院となりました。

その後、応仁の乱に遭い、天正元年(1573)に当地に移り、現存の堂字は、1788年の「天明の大火」による炎山以後のものです。
  
  境内には光格天皇父の閑院宮典仁親王(慶光天皇)陵があります。

本堂には、恵心僧都の作と伝えられる阿弥陀三尊等が安置されています。

その他、国宝の慈恵大師自筆遺告状、重要文化財として鎌倉時代の如意輪観音半跏像 、後伏見天皇および正親町天皇の宸翰(しんかん:天皇の自筆の文章))、法然上人選択集などがあります。
    
  紫式部の曽祖父にあたる権中納言・藤原兼輔(堤中納言)が、この地に邸宅を構えたのが始まりです。

紫式部はこの地で育ち、結婚生活を送り、「源氏物語」執筆の地と云われ、本堂前の「源氏の庭」には、「紫式部邸宅跡」の石碑があります。

『現地案内を参照』
    
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