善光寺
長野県長野市元善町491
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  無宗派の仏教寺院で、本尊は百済の第26代王・聖王(聖明王)を経て献呈された日本最古と云われる一光三尊阿弥陀如来です。

日本に来た時、廃仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てられましたが、本田善光(よしみゆつ)に拾われ、信濃の元善光寺へ、642年に現在の善光寺に遷座されたと云われています。
  
  善光寺は本田善光の名から付けられた、または百済の第31代義慈王の子・善光からとったとも云われています。

治承3年(1179)、治承・寿永の乱(源平合戦)の頃、焼失により荒廃していきました。

文治3年(1187)、源頼朝が信濃国守護・比企能員(ひき よしかず)に対して善光寺の再建を命じ、建久8年(1197)には頼朝自身が善光寺に参詣しています。
  
  のち、鎌倉幕府執権の北条氏により再建され、全国的に善光寺信仰が広がりました。

戦国時代、善光寺平は甲斐国の武田信玄と越後の上杉謙信の争いの舞台になり(川中島の戦い)、兵火を被り荒廃しました。

善光寺如来が武田氏・織田氏に渡り、本能寺の変後、織田信雄が尾張へ、のち家康が甲斐へ返します。
     
  慶長2年(1597)、秀吉が善光寺如来を京都の方広寺へ移すも、病に伏せ死去される直前に信濃へ返されました。

江戸時代には、「お伊勢参り」の帰りに「善光寺参り」が盛んになり、今日も沢山の人が訪れているのです。

『Wikipedia参照』
    
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