飛鳥寺
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
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  開祖は蘇我馬子、蘇我氏の氏寺であった法興寺の後身で、6世紀末から7世紀初頭にかけて造営され、本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来です。

馬子は廃仏派の物部守屋と対立し、馬子は守屋との戦いに際して勝利を祈念し、飛鳥の地に寺を建てることにしたとも云われています。
  
  往時の飛鳥寺は、五重塔を中心に、北には中金堂、東西には東金堂・西金堂が建ち、一塔三金堂式伽藍配置という方式で配置されていました。

蘇我氏の氏寺に留まらず、仏教隆昌の中心地となり、推古天皇17年(609)には、百済僧道欣(どうこん)ら11人、高句麗僧の慧灌(えかん)、呉人の僧福亮(ふくりゅう)、智蔵(ちぞう)らが入寺しています。
  
  我入鹿首塚と伝える五輪塔

飛鳥寺は、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場や蘇我氏討伐の本陣にもなりました。

皇極天皇4年(645)、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺、蘇我氏を滅亡させました。(乙巳の変:いっしのへん)

入鹿の首塚は飛鳥寺の西にポツンと立っています。

『Wikipediaを参照』
    
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