如意輪寺(にょいりんじ)
奈良県吉野郡吉野町吉野山1024
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  平安時代の延喜年間(901-922)、日蔵上人により真言宗のお寺として開かれました。

南北朝時代に後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際には勅願所とされました。

慶安3年(1650)、文言鉄牛上人により浄土宗に改宗した寺院です。
  
  この石は後醍醐天皇が腰かけた「腰掛石」で、後ろの木は楠木正行公がお手植の木斛(モッコク)です。

楠木正成の子・正行公(まさつら)が四条畷の決戦(足利の武将高師直との戦い)に向かう前、一族郎党143人と共に如意輪寺に参詣し、本堂の扉に鏃(やじり)で辞世の歌を刻み、四条畷に出陣しました。
  
  至情塚

後村上天皇より楠木正行の奥方にとの話があった弁内侍(べんのないし)が、正行公討ち死の後、その菩提を弔うために尼僧となり、その黒髪を埋めた所です。
    
  北条幕府を倒し、建武中興を成しとげた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸、以来4年間吉野の行宮に過ごされました。

延元4年(1339)、病床に就かれ「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂魄(たましい)は常に北闕(ほっけつ:京都)の天を望まん」と都をあこがれ、遂に崩御されました。

天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが「塔尾陵」です。

『現地案内&Wikipediaを参照』
    
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