|
|
南大門の金剛力士像だね。
鎌倉時代初頭、運慶、弟子の快慶、長男の湛慶、定覚らによって造られた、高さが8mもあるよ。
なんか悪いことを握られているような、心までにらまれているような気がする。 |
|
|
|
聖武天皇の天平時代は干ばつ・飢饉が続き、天平6年(734)には大地震で大きな被害がでました。
天平9年(737)、政治の中心にいた藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4兄弟が天然痘の大流行で死去します。
天平12年(740)、九州大宰府で挙兵した藤原広嗣の乱が起こりました。 |
|
|
|
天平13年(741)、国ごとに国分寺と国分尼寺を置き、大和国には総国分寺を建立し、国家の安定を願いました。
天平15年(743)、聖武天皇により造像が発願され、天平17年から開始し、天平勝宝4年(752)に開眼供養会が行われました。
柱に鼻の穴と同じ大きさの穴があります。 建物の北東側が鬼門だから邪気を逃がす役割と云われているよ。 |
|
|
|
東の坂を少し上って二月堂に来ます。
3月1日から14まで、テレビで見る大きな松明を僧侶が回廊を運ぶ行事、修二会(しゅうにえ)が行われます。
修二会の期間中の3月12日に「お水取り」は、二月堂前の若狭井とよばれる井戸から観音菩薩にお供えする「お香水」を汲み上げる儀式です。
「お水取りが終わると春が来る」と云われています。 |
|
|
|
福井県小浜市の若狭神宮寺で、3月2日に若狭井へ水を送る「お水送り」の神事が行われています。
水は10日かけて地下を通って若狭井に届くと云われています。
大仏もずごいけど、初めて知った若狭の水の話もすごいことだよね。
『Wikipediaを参照』 |