盛隆寺(じょうりゅうじ)
岡山県岡山市南区妹尾1757
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  庭瀬の領主・戸川達安公の妹君は、備前宇喜多忠家の嫡男・左京亮詮家に嫁がれましたが、不幸にして若くして亡くなられました。

母堂の妙承尼(常山城主友林院殿の室)は大変嘆き悲しまれ、新しくお寺を建てて姫君(真了院殿妙円大姉、慶長8年10月1日逝去)の冥福を祈ってやろうと思いたたれました。
  
  庭瀬領主戸川家墓所

達安公もまた、妹君の死を哀れむと共に、ご母堂の心のうちを察して、その願望を叶えてあげようと思いたたれます。

三千余坪の土地を寄付して、当山を開創し、日鳳上人を開祖に迎えて啓運山盛隆寺と名付けました。
  
  妹尾太郎兼康公の供養塔

木曽義仲の軍勢と、笹迫(ささがせ)や板倉城で戦い、討ち死にしたと云われた 平家方の妹尾太郎兼康公の供養塔です。

『現地案内を参照』
    
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