百済寺(ひゃくさいじ)
滋賀県東近江市百済寺町323
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  推古天皇14年(606)、聖徳太子は高句麗の僧・恵慈とともにこの地に来ると、山中で不思議な光を見て、光の元を訪ねていくと、それは霊木の杉でした。

太子はその杉で十一面観音像を作り、像を囲む堂を建てたのが百済寺と云われています。

白鳳期と推定される布目の瓦の破片が出土していることから、すでにこの時代に瓦を用いた寺院が建築されていたことが推定され、愛知郡誌によると近江国最古の寺院で云われています。
  
  東寺観智院年代記に、天養元年(1144)、百済寺天台別院と号す と書かれており、源平盛衰記には寿永2年(1183)、木曽義仲に百済寺より五百石の兵米を送ると記されています。

室町時代、明応7年(1498)に自火による本堂付近を焼失し、古記録などの焼失により寺歴を物語るものがなくなってしまいました。
  
  文亀3年(1503)、近江守護六角高頼と守護代伊庭貞隆の争いに巻き込まれ、ほとんどが焼失します。

天正元年(1573)、信長に抵抗していた六角承禎が近くの鯰江城に籠城した時、百済寺は六角氏の味方となり、兵糧を運び入れたため、信長による焼き討ちに遭い全焼するのです。

『現地案内&Wikipediaを参照』
    
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