清滝寺(京極家墓所)
滋賀県米原市清滝288
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  霊通山清滝寺徳源院は、鎌倉時代より近江の守護職であった佐々木氏の一族で、鎌倉時代から江戸時代まで栄えた京極家の菩提寺です。

京極家の始祖・氏信の草創(1283)で、永仁2年(1292)氏信の死後に寺内に墓を建て、以後京極家は清滝寺を菩提寺にしました。
  
  浅井氏の台頭とともに寺運は衰えますが、江戸時代の寛文12年(1672)に丸亀藩主・京極高豊(22代)が、所領の播磨国2ケ村と清滝寺周辺の土地を知行替えしました。

それにより子院12坊の再興と三重塔を建立して、高和(21代:初代丸亀藩主)の院号から徳源院と称しました。
    
  道誉ざくら

京極高氏公(1296−1373)は、初代氏信公より数えて5代目にあたり、近江北半国の守護として、南半国守護の六角家とともに近江を支配していました。

足利尊氏が室町幕府を開くと、尊氏の有力武将として反南朝勢力の雄となり、傍若無人で、派手好みのふるまいはバサラという異名を持っていました。

春には桜満開だそうです。
    
  墓所は、境内左手奥の山裾を上下2段に分け、上段には始祖氏信をはじめ高吉(18世)に及ぶ歴代の墓18基が並んでいます。

下段には、大津城主・高次(19世)の墓が石廟に入れ、木廟内の4基を含めて14基と五輪塔3基があります。

鎌倉時代から、室町時代、戦国時代、江戸時代までのお墓、いつも思うのは、歴史人が本当に実在し、時代の中で活躍した証がお墓なんだよね。

『現地案内を参照』
    
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