蓮華寺
滋賀県米原市番場511
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  聖徳太子の建立で、もとは法隆寺と称しましたが、鎌倉時代一向上人が土地の豪族・土肥元頼の帰依を受けて、再興し時宗一向派の本山にあり、幾多の変遷を経て、現在では浄土宗となっています。

北条仲時以下430余名自刃にまつわる過去帳や墳墓に悲哀を物語、あるいは長谷川伸の「瞼の母」で有名な番場の忠太郎や、斎藤茂吉ゆかりの寺としてその歴史にふさわしい数々の逸話を秘めています。
  
  元弘元年(1333)5月、後醍醐天皇の綸旨(りんじ)を受け挙兵した足利尊氏や赤松則村らは京都六波羅を攻めました。

元弘3年5月9日、京都での合戦に敗れた六波羅探題・北条仲時公は、北朝の天子光巌天皇、後伏見上皇、花園上皇を奉じて、中山道を関東に向かい、番場の宿に着きました。
  
  しかし佐々木道誉が差し向けた野伏に行く手を阻まれ、玉輦(ぎょくれん:天子や貴人の乗り物)を蓮華寺に移し、大いに戦うも敗れ、本堂前の庭に於いて、仲時公以下430余名自刃するのです。

時の住職三代同阿上人は深く憐れみ、その姓名と年齢、法名を一巻の過去帳に留め、一人一人お墓を建て、丁重に葬っています。

『現地案内&Wikipediaを参照』
    
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