西教寺(明智一族の菩提寺)
滋賀県大津市坂本5-13-1
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  西教寺は聖徳太子が仏法の師である高麗の僧慧慈(えじ)、慧聡(えそう)のために開創された寺です。

推古天皇26年(618)に大窪山の号をたまわり、天智天皇8年(669)に西教寺の号を下賜されたと云われています。
    
  元亀2年(1571)、信長の比叡山焼き討ちによって西教寺は全焼し、本堂・文室・鐘楼・僧厨等が焼失しました。

この総門は、天正年間に坂本城主・明智光秀が、坂本城門を移築したと云われています。

2020年、大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀ゆかりの地の旗がうれしい。
  
  鐘楼は総欅造り(そうけやき)で、上層は軒の出が深く重量感があり、それに呼応して下層の袴腰は裾が広く安定感があります

蟇股(かえるまた)に配された猿の彫刻や籠彫りの木鼻など、細部にわたって精巧な意匠が施されています。
  
  坂本城主になった光秀公は、西教寺を菩提寺にしようとして、坂本城の陣屋を寄進し大本坊を再建しました。

昭和33年の大本坊を改築の際、「天正年中明智公所造之古木」と彫った古材が屋根裏から出てきたそうです。

大本坊には、光秀公と妻煕子(ひろこ)夫人の御木像が安置されています。
    
  天正10年(1582)、本能寺の変のあと、山崎の合戦に破れ、非業の最後をとげた時、光秀一族とともに当寺に葬られたと云われています。

お寺の過去帳には、秀岳宗光大禅定門(明智十兵衛尉日向守光秀)はじめ七人の方々が記載されています。

この門の内側から琵琶湖が見渡せる、素晴らしいよ。
    
  明智光秀一族の墓です。

隣には、早逝した煕子夫人のお墓が安置されています。

『現地案内を参照』
    
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