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鐘楼は総欅造り(そうけやき)で、上層は軒の出が深く重量感があり、それに呼応して下層の袴腰は裾が広く安定感があります
蟇股(かえるまた)に配された猿の彫刻や籠彫りの木鼻など、細部にわたって精巧な意匠が施されています。 |
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坂本城主になった光秀公は、西教寺を菩提寺にしようとして、坂本城の陣屋を寄進し大本坊を再建しました。
昭和33年の大本坊を改築の際、「天正年中明智公所造之古木」と彫った古材が屋根裏から出てきたそうです。
大本坊には、光秀公と妻煕子(ひろこ)夫人の御木像が安置されています。 |
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天正10年(1582)、本能寺の変のあと、山崎の合戦に破れ、非業の最後をとげた時、光秀一族とともに当寺に葬られたと云われています。
お寺の過去帳には、秀岳宗光大禅定門(明智十兵衛尉日向守光秀)はじめ七人の方々が記載されています。
この門の内側から琵琶湖が見渡せる、素晴らしいよ。 |
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明智光秀一族の墓です。
隣には、早逝した煕子夫人のお墓が安置されています。
『現地案内を参照』 |