一ノ谷の合戦

兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町
兵庫県の源平史跡2
    
国道2号線、JR須磨駅から少し西へ走ると「須磨浦公園」、ここには「源平史跡 戦の浜」の碑がありました。

一の谷は、鉄拐山と高倉山との間から流れ出た渓流にそう地域で、この公園の東の境界にあります。

寿永三年(1184)2月7日の源平の戦いでは、平氏の陣があったといわれ、この谷を200mあまりさかのぼると二つに分かれ、東の一の谷本流に対して、西の谷を赤旗の谷と呼び、平家の赤旗で満ちていた谷だと伝えられています。

一の谷から西一帯の海岸は、「戦の濱」といわれ、毎年2月7日の夜明けには松風の波音のなかに軍馬の声が聞こえたとも云われています。

ここが源平の戦のなかでも特筆される激戦の地であったことが偲ばれるのです。
『現地案内を参照』

   
坂を少し上れば須磨寺、ここには平敦盛と源氏の武将・熊谷直実の一騎打ちの像がありました。

熊谷直実が打ち取ったのは、年の頃16,17歳の若者でした。

彼こそが、清盛の弟・経盛の子敦盛で、彼の笛が今でも宝物館に展示されているそうです。

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