兵庫県加東市掎鹿谷692 | |
兵庫県の源平史跡3 | |
中国自動車道「ひょうご東条IC」から17号線を北西へ、天神北交差点から75号線を北へ、200mほどで加東市コミュニティセンターがある道へ進むと、まもなく掎鹿寺(はじかじ)がありました。 | |
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大乗院の北側から掎鹿寺に通じる道は、源平三草山の合戦後に一ノ谷をめざし、義経主従が通った道で「義経道」と呼ばれています。 ここ掎鹿寺で軍勢を揃え、一ノ谷の平家を攻撃する計略を練りました。 (掎鹿谷の戦評定) 大きな道しるべだよ、三草山からだと朝光寺を通って来るから、西の小野市は通らなかったのかな。 |
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掎鹿寺は、推古帝2年(598)に聖徳太子によって創立と伝えらられています。 寺伝によると、太子がこの地に来られた時、負傷し死にそうな白い鹿を見て、薬師如来に祈願したところ、傷がたちどころにいえたことから、山号を白鹿山として、薬師如来の聖像を掘って安置したと云われています。 『現地案内を参照』 |
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