清荒神清澄寺

兵庫県宝塚市米谷清シ1番地
兵庫県の源平史跡3  
 
JR福知山線「宝塚駅」の東、176号線の宝塚歌劇場前交差点を北へ進みます。

福知山線を越え、中国自動車道をくぐり東へ、案内を道なりに進むと清荒神清澄寺がありました。たけど、元々は関西だったのかな。

平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。

寛平8年(896)、天皇は叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖とします。

およそ三百年の後、源平の兵火により灰となりましたが、建久4年(1193)、勅命により源頼朝の手によって再興されました。

 
四百年の後、戦国時代、再び兵火で荒神社を除く諸堂が焼失します。

江戸時代末期、名僧浄界和上(号露庵)の諸堂再興に続き、法主浄和上は真言三宝宗を開き、総本山清荒神清澄寺として今日を迎えています。

お正月には参道が人でいっぱいかな、令和元年、今年も過ぎていくなぁ。

『現地案内を参照』

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