久下城 (源氏方の久下氏)

兵庫県丹波市山南町玉巻、金屋
兵庫県の源平史跡3  
 
JR谷川駅の西側には踏み切りがあり、 線路の西側には標高241m八幡山の山頂に久下城(くげ)があります。

 
治承四年(1180)、源頼朝は平氏打倒の兵を伊豆国で挙げるのですが、箱根の「石橋山合戦」で大庭景親・河村義国らに敗れました。

翌年、頼朝が再び旗揚げをした時、大庭景親に属していた久下直光・重光父子は、頼朝のもとに一番に馳せ参じます。

久下氏は清和源氏の祖源満仲の弟・武末の孫である基直が武蔵国大里郡久下郷(埼玉県熊谷市久下)を本領としていました。

  
元暦元年(1184)、屋島で回復した平氏は神戸の須磨一の谷で陣を構え、対する源義経は丹波から三草山城の平氏を討ち破り、神戸へと向かいます。

承久三年(1221)、一の谷合戦で戦功があった久下氏は恩賞として丹波粟作郷の地頭職に任じられ重光の孫・直高がこの地に移り住みました。

「長慶院」 東の山麓には久下重光初め一族代々の城主や将士の菩提所があります。

『参考文献とWikipediaより』

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