久々知須佐男神社 (矢文石)

兵庫県尼崎市久々知1丁目3-28
兵庫県の源平史跡3
 
JR塚口駅から606号線を東へ、若王寺交差点から41号線を南へ、300mほどの西側には久々知須佐男神社がありました。

この神社には、多田満仲公の矢文石の話が残っているよ。

 
多田満仲公は摂津国守に赴任すると、住吉大神の御信託によって、当須佐男神社の石の上から矢を放ちました。

矢は雲の上遥かに飛び上がり、池田五月山から戌亥(西北)の方向にあたる谷蔭の深いところに光を放って落ちていきました。

満仲はその放った矢を問いながら来られた処、頭が九つもある大蛇に突き刺さっており、大蛇から流れた血水跡はまるで紅の河のようになって流れていました。

  
早速大蛇の首を切り、九頭の明神とあがめ祀りました。 大蛇の地水の引いた所が多く田のようになっていたので、所の名を多田と名付けます。

また矢を問いながら来た所から、矢問という地名もつけられました。

10世紀後半一族と共に多田盆地に移住した多田満仲は、天禄元年現在の多田神社に多田院を建立し、その小独立国は源氏武士社会の発祥の地といわれています。

『現地案内を参照』

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