六条八幡宮

兵庫県神戸市北区山田町中字宮ノ片57
兵庫県の源平史跡2
 
阪神高速7号北神戸線「箕谷IC」から428号線を北西へ、原野南三差路から85号線を西へ、600mほどの信号で東北へ曲がります。

100mほどで北へ、志染川を渡るとまもなく北側には六条八幡宮がありました。

丹生山や鷲尾氏屋敷跡が近くにあるよ。

神功皇后が紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門に御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮をされたと云われています。

保安4年(1123)、六条判官源為義が、この山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六条左女牛の八幡大神を京より勧請合祀します。

 
為義は義朝の父だよね。

これより多くの人が崇敬し、為義の称号をとって六条八幡宮と申し奉るようになりました。

一時期、丹生山田庄は平清盛が領しましたが、平家没後には頼朝が接収し、地域の氏神として、源氏ゆかりの神社になるのです。

『現地案内を参照』

Home  兵庫県の源平史跡2