兵庫県西脇市高松町 | |
兵庫県の源平史跡3 | |
中国自動車道「滝野社IC」から175号線を北へ走ります。 板波橋東詰交差点から東へ曲がり、すぐに長明寺があり、境内には源頼政の墓所がありました。 |
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「鵺(ぬえ)退治の頼政」です。 仁平3年夏、近衛天皇は奇病に悩まされ、深夜になると鵺の声が聞こえ、苦しまれていました。 薬も名僧の祈願も効果がなく、やがて雲の中に住む妖怪のしわざと考えられ、そこで弓の名手・源頼政に退治が命じられ、見事退治するのです。 |
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少し上がると源三位頼政公と後ろには側室菖蒲(あやめ)御前の供養塔があります。 清盛は高倉天皇を攘位させ、清盛の娘・徳子との間に生まれた三歳の安徳天皇を即位させました。 これに意を唱えたのが後白河法皇の第三皇子・以仁王で、頼政は以仁王と組んで平家打倒の挙兵を計画するのです。 |
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