兵庫県神戸市須磨区 | |
兵庫県の源平史跡2 | |
JR須磨駅の東へ、千守交差点から坂道を上ると須磨寺があります。 謡曲「敦盛」の意味が少し分かったような気がします。 |
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敦盛首塚 | |
神戸市須磨区須磨寺4丁目6-8 | |
17歳で一ノ谷の戦いに参加し、平家が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとしたところ、熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯なり」と呼び止めます。 直実が敦盛の首を斬ろうとした時、我が子・直家と同じ年頃と分かり躊躇します。 |
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敦盛公首洗いの池 | |
神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8 | |
敦盛は「すみやかに首をとれ」といい、直実は涙ながら敦盛の首を取りました。 謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土で共に成仏する運命にあった事を作曲された修羅物です。 |
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義経腰掛松 | |
神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8 | |
敦盛公首洗い池の向かいにあるよ。 義経はこの松に腰掛けて、敦盛の首実験をしたと云われているよ。 | |
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敦盛塚(胴塚) | |
神戸市須磨区一ノ谷町5丁目4 | |
一ノ谷の戦いで少年敦盛を討った熊谷直実は、無常を感じ出家して蓮生と改め、菩薩の為古戦場を訪ねます。 敦盛の霊は草刈男の姿で迎え、共に極楽往生のできることを喜びつつ消え去るのです。 ここは二号線沿い、敦盛の胴塚がひっそりとありました。 『現地案内を参照』 |
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