監物太郎頼賢の碑

兵庫県神戸市長田区四番町8丁目
兵庫県の源平史跡2 
 
神戸市営地下鉄「長田駅」の西側「長田神社前交差点」を西へ渡ります。

すぐの神戸村野高校の東側には監物太郎頼賢(けんもつたろうよりかた)の碑がありました。

寿永3年2月7日 源平須磨之役 頼賢奮闘記

生田の森の大将平知盛(とももり)は部下すべて落ちふせ、子・知章、家臣・監物太郎頼賢と主従三騎で渚の方へ落ち延びようとします。

そこへ児玉党と思われる十騎ばかりが追いかけて来ました。 これを頼賢は弓にて射て落とすも、大将と思われる者が知盛に組み付きます。

子・知章は父を討たせまいと首を取るのですが、立ち上がらんとするところを敵兵が知章の首を挙げるのです。

   
頼賢はその中の一兵の首を取り、太刀を抜いて戦うも、左の膝口を射られ討ち死にします。

それに紛れて、知盛は井上黒の愛馬にて海上二十丁ばかり泳ぎ、船に乗り移り助かるのです。

毎年5月7日の命日に祭礼が行われ、願い事がかなうとされているそうです。

『現地案内を参照』

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