清水寺

兵庫県加東市平木1194
兵庫県の源平史跡3 
 
国道372号線の上鴨川交差点から311号線を南東へ、再び北東へ方向を変えてまもなく山を上ると清水寺があります。

ここは西国第二十五番の札所のお寺、源平の跡そして戦国赤松氏の史跡もありました。

今から1800年前、インドの僧・御開山法道仙人が人皇十二代景行天皇の御時に中国、朝鮮を経て当山に住まれ、鎮護国家豊作を祈願されました。

推古十三年(627)、推古天皇の勅願により、根本中堂を建立します。

由来、この地は水に乏しく、神に祈って霊泉湧出し、感謝の余り、清水寺と名付けられました。

   
神亀2年(725)、聖武天皇は行基菩薩に勅願して大講堂を建立し、永く講経の道場として法灯を輝かされました。

この薬師堂は平安時代の末期、平清盛の義母「池の禅尼」により創建されます。

池の禅尼は清盛の父・忠盛の正室で、源頼朝を捕えた時、清盛に頼朝の命を助けることを嘆願した人ですね。

  
多宝塔(大塔)は、平清盛の武運長久を祈願して、保元2年(1157)に清盛の生母と云われる祇園女御により建立されました。

清水寺には「弁慶の碁盤」があり、弁慶が書写山にいたころ、ひまを見つけては清水寺に詣でて、碁を打ち、一目の差で負け、くやしさから持っていた石で盤を抑えたとろこ、めりこんでしまったという話です。

『現地案内を参照』 

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