平盛俊の墓所

兵庫県神戸市長田区庄山町3-2
兵庫県の源平史跡2 
 
山陽電鉄本線「板宿駅」から22号線を東へ、板宿商店街南交叉点を超え、次の信号を北へ曲がります。

2つ目の信号の三差路手前の50mで西へ入る道沿いには、平盛俊の墓所がありました。

平盛俊(もりとし)は、平家屈指の武将であり、「一ノ谷の合戦」として知られる源平寿永の戦いでは鵯越下の明泉寺に布陣していました。

しかし、義経の「坂落し」によって陣を破られ、この辺りまで後退して寄せ来る源氏を待ち伏せていました。

そこに現れたのが源氏の猪俣小平六則綱で、盛俊は「六七十人力」の豪傑だから、たちまち彼を組み伏せてしまいます。

    
しかし、ずる賢い小平六の必死の命乞いに、力持ちだが気の優しい盛俊がこれを聞き入れてしまったのが、失敗のもとでした。

折れしも別の源兵の駆け来るのに盛俊が気を取られている隙に、小平六は盛俊を泥田の中に押し倒します。

相手の太刀を引き抜きざま滅多突きしたため、さしも剛勇の誉れ高い盛俊も、この地において無念の最期を遂げたと云われています。

『現地案内を参照』

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