兵庫県神戸市長田区名倉町2丁目 | |
兵庫県の源平史跡2 | |
神戸市営地下鉄西神・山手線「長田駅」から北へ、長田神社を過ぎて宮川町9交差点を少し超えたところを東へ曲がります。 細い道を進み、名倉みふね幼稚園の三差路を東へ曲がると、50mぐらいで平盛俊の塚がありました。 |
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平盛俊(もりとし)と清盛とは、四代前が伊勢平氏の平正度です。 盛俊の父・盛国は清盛の側近として仕え、盛俊も清盛に政所別当を務めていました。 一ノ谷では東の生田口に平知盛、西の一ノ口には平忠度、そして山の手の鵯越口には盛俊が配備されています。 |
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越中前司・平盛俊は、平家の大将で、力優れ、剛勇のほまれが高かった。 源平合戦の際、この地近くで、陣をしていたが、源義経のひよどり越えの急襲により源氏方の猪俣小平六と組み討死をするのです。 『現地案内を参照』 |
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