石水寺 (平師盛公塚)

兵庫県神戸市垂水区名谷町3115
兵庫県の源平史跡2 
 
第二神明「名谷IC」から西の488号線を北へ、中山大橋三差路から65号線を福田川に沿って北へ、新奥畑交差点から北へ曲がります。
あとはクネクネと上って行くと石水寺がありました。

何回か南から北からトライしてもたどり着けない、結局は川の南のホームセンターに車を置かせてもらいます。

石水寺は京都南禅寺の末寺で、天授元年(1375)に悦捜宗怡(えつそうそうい)禅師によって、開山された禅寺です。

平清盛公の孫にあたり、重盛公の第五子である師盛公は寿永3年(1184)2月5日の丹波、三草山の戦いで源義経公に敗れたあと、2月7日に一ノ谷の西城戸に落ち延びました。

   
この一ノ谷の合戦の時に従者と共に討たれてしまいます。

舟は転覆し、追っ手の畠山重忠の郎党により討たれてしまうのです。

この平師盛公の塚は当初、奥畑村の龍華山小松谷にありましたが、その後石水寺に移されて長く香華を供え、今日に至っているのです。

『現地説明を参照』

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