平重衡とらわれの松

兵庫県神戸市須磨区須磨寺町2-1-1
兵庫県の源平史跡2 
 
山陽電鉄「須磨寺駅」の前には、平重衡とらわれの松がありました。

コーヒーでも飲んでゆっくりと史跡めぐりしたいと思いながら、あわてて線路を渡ってしまうね。

平清盛の五男で、平氏の大将の一人として戦っていたんだね。

清盛の命により、奈良の東大寺や興福寺を焼き討ちした南都焼討や、墨俣の戦い、水島の戦いで活躍するんだ。

寿永3年(1184)2月7日一ノ谷の戦いで、生田の森から副大将平重衡は須磨まで逃れて来たが、馬を射られ、源氏方の梶原景季と庄高家(庄家長)により捕らえられました。

    
源氏の捕虜となると、土地の人が哀れに思い名物の濁酒をすすめたところ、重衡はたいそう喜んで

「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて 須磨でのむこそ 濁酒なれ」

の一首を詠みました。

のち鎌倉へ送られ、南都へ引き渡されて、木津川畔で処刑されるのです。

Home  兵庫県の源平史跡2