菜切塚

兵庫県尼崎市浜田町2丁目59
兵庫県の源平史跡3
 
JR神戸線「立花駅」から道意線を南へ、国道2号線を超え、次の菜切山交差点沿の西側には菜切塚がありました。

菜切塚は武内宿禰(すくね)の墳墓として畏敬されてきました。

武内宿禰は第12第・景行天皇から第16第・仁徳天皇まで仕え、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛氏・蘇我氏など27氏の祖と云われているよ。

この古墳は 戦前までは環溝のある前方後円墳の形状をしていたそうです。

   
保元2年7月、崇徳上皇が讃岐に配流の際、浜田の地に逗留され「すくねづかの御製(ぎょせい)」を残されました。

しかし文明年間(1469-87)の洪水で御製は流失したと云われています。

御製とは、天皇や皇族が書いたり作ったりした文書・詩歌・絵画のことだそうです。

『現地案内を参照』

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