浄土寺

兵庫県小野市浄谷町2094

 兵庫県の源平史跡3
  
敷地内の東には現生(東方浄瑠璃世界)を表した「薬師堂」があります。

治承4年(1180)、平重衡による南都焼討で、東大寺や興福寺が焼失、その再建に勧進職となったのが重源上人です。

周辺の東大寺荘園を再建の経済的基盤とするため、伊賀国・周防国など東大寺の「別所」を造り、その内の播磨別所が浄土寺です。

   
敷地の西には来世(西方極楽浄土)を表す「浄土堂」があます。 建物と快慶作の阿弥陀三尊像は国宝だよ。

夕日が差し込む時、眩しく美しすぎるよ。

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