安宅の関

石川県小松市安宅町
石川県の源平史跡 
 
北陸自動車道「小松IC」から西の梯川を渡ると安宅住吉神社、ここには勧進帳の舞台となった安宅の関がありました。

文治元年(1185)、平家を壇ノ浦で壊滅させた義経は京に戻ると、兄頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って奥州平泉へ向かうのです。

義経追捕が出されると、諸国に守護・地頭がおかれ、ここ加賀には富樫泰家が守護になりました。

文治3年(1187)、山伏に扮装した義経主従一行が安宅の関に着いた時、富樫氏は厳しく尋問をするのです。

弁慶は「寺院の寄進を集めるために旅をしている」と言うと、富樫氏は「それならば書類があるはず」と問い詰めました。

   
弁慶は持ち合わせの巻物を広げ、勧進帳を空読みをするのです。

しかし、他の番人が義経に似ていると言うと、弁慶は「荷物を一つしか持たないのに、だらだらしているから疑われるのだ」と言って、金剛杖で義経を打つのです。

富樫泰家は義経であるのを知りながらも、弁慶の忠誠心に心打たれ、関の通行を許すのです。

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