鼓岡神社

香川県坂出市府中町乙5116
香川県の源平史跡  
 
高松自動車道「坂出IC」から11号線を東へ、綾川を渡りまもなく11号線を南へ曲がります。

坂出市加茂町の信号から187号線で綾川を西へ渡り、33号線を南へ1kmぐらいには鼓岡神社(つづみがおか)がありました。

保元元年(1156)、摂関家の藤原頼長と忠通の争いと、皇室である後白河天皇と崇徳上皇が争います。(保元の乱)

この地は、敗北した崇徳上皇が配流先の讃岐国で設けた行在所と云われています。

 
建久2年(1191)、後白河上皇近侍の阿闍梨章実により、木の丸殿を白峯御陵に移し、跡地に之に代わるべき祠を建立し、上皇の御神霊を奉斎し奉ったのが鼓岡神社の草創と云われています。

境内には、木の丸殿、擬古堂、観音堂、杜鵑塚(ほととぎすづか)、鼓岡行宮旧址碑、鼓岡文庫などがあり、附近には内裏泉、菊塚、碗塚があります。

  
 「崇徳院御製碑」

崇徳上皇は、長寛2年(1164)に崩御されるまでの6年余りをこの地で過ごされました。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢うわむとど 思う

  
「杜鵑塚(ほととぎすづか)」

啼けば聞く 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす

崇徳上皇が都をしのんで詠んだ歌です。

これを聞いた里人が気をつかい、以来鼓岡一帯ではホトトギスが鳴かなかったと云われています。

 
 「擬古堂(ぎこどう)」

保元3年(1158)、崇徳上皇は雲井御所から府中の鼓岡の木ノ丸殿に移られました。

木ノ丸殿とは、木の丸太で造った御所といった意味合いで、御所としては粗末な造りだったと云われています。

大河「平清盛」で、すごい場面だったのが、ここだったのかな。

『現地案内、参考資料を参照』
  

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