奈良県奈良市登大路町48 | |
奈良県の源平史跡 | |
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興福寺は奈良時代は四大寺、平安時代は南都七大寺の一つで、藤原氏の祖・藤原鎌足と子・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺でした。 平安時代には藤原北家との関係が深く、大和国の荘園のほとんどを領していました。 治承4年(1180)、後白河法皇の皇子以仁王(高倉天皇の兄宮)と源頼政は、平氏政権に対する反乱を起こします。(以仁王の挙兵) |
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挙兵は短期間で鎮圧されるのですが、その影響は以仁王の令旨を奉じた源頼朝、源義仲、甲斐源氏、近江源氏などが各地で蜂起し、治承・寿永の乱へと広がっていきました。 その乱の最中、平重衡による南都焼討により東大寺と共に興福寺も焼失するのです。 『wikipediaを参照』 |
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