京都府京都市中京区烏丸通御池東北角 | |
京都府の平安史跡2 | |
|
|
この地点は、平安京では左京三条三坊十四町と十五町の間の三条坊門小路にあたります。 交差点北西角の地には、後鳥羽上皇の押小路殿に始まる著名な園地があり、そのため三条坊門泉殿などの別名で呼ばれていました。 今、ここを東西に走る御池通は、神泉苑の前を通ることに因むというのが通説だが、「坊目誌」では、この泉殿の園地に由来するという説が掲げられています。 |
|
|
|
その後も付近は高級住宅宅地として、足利一門の邸宅が存在しましたが、戦国時代には、この辺りにも砦や城が幾つも構えられ、泉殿の跡には織田信長の宿館が作られました。 これらは本能寺の変の際にもその舞台の一つとなったと云われています。 江戸時代になると、金座・銀座などが集中して金融街へと変貌し、その賑わいは、現在でも近代建築の多く残る三条通や烏丸通のオフィスビル群に見ることができます。 『現地案内を参照』 |
|
|